朝日新聞社の沿革
1879年(明治12年) | 1月25日、大阪・江戸堀で絵入り・ふりがな付きの「小新聞」として創刊。 |
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1883年(明治16年) | 部数2万部を超え全国1位に。 |
1888年(明治21年) | 東京の「めさまし新聞」を買収し東京朝日新聞創刊。 |
1907年(明治40年) | 夏目漱石入社。 |
1909年(明治42年) | 石川啄木入社。 |
1915年(大正4年) | 全国中等学校優勝野球大会を創設。甲子園大会の前身。 |
1922年(大正11年) | 出版部門を復活し「週間朝日」など創刊。 |
1923年(大正12年) | 9月、関東大震災で東京の社屋を焼失。 |
1935年(昭和10年) | 北九州と名古屋で現地印刷を開始。 |
1936年(昭和11年) | 2.26事件で反乱軍が東京の社屋に乱入。 |
1937年(昭和12年) | 国際友好の願いを込め、「神風」号の亜欧連絡飛行実施。 |
1940年(昭和15年) | 全国4本社体制に。 |
1945年(昭和20年) | 言論・報道の責務を十分に果たせないまま終戦を迎えた責任をとり、11月、幹部が総退陣。 紙上宣言「国民と共に立たん」。 |
1952年(昭和27年) | 不偏不党をうたった「朝日新聞綱領」制定。 |
1956年(昭和31年) | 南極学術探検を支援。 |
1958年(昭和33年) | 日本対ガン協会設立。 |
1959年(昭和34年) | 北海道支社設立に際し、世界初のファクシミリ新聞を実用化。 |
1978年(昭和53年) | 森林文化協会創設。 |
1979年(昭和54年) | 創刊100周年。 世界初の女性だけの東京国際女子マラソン開催。 |
1980年(昭和55年) | 東京本社の築地移転。 世界に前例のないコンピュータによる紙面製作と高速オフセット印刷を採用。 |
1986年(昭和61年) | 国際衛星版の発行開始。 |
1987年(昭和62年) | 阪神支局に散弾銃を持った男が侵入、 記者2人を殺傷する事件発生。 |
1988年(昭和63年) | 「AERA」「ASAHIパソコン」創刊 |
1995年(平成7年) | インターネット情報サービス「アサヒ・コム」開始。 |
1999年(平成11年) | 創刊120周年。 |
2001年(平成13年) | 「ヘラルド朝日」創刊。 新聞文字を拡大、1段11文字に。 |
2002年(平成14年) | 週末新聞「be」創刊。 |
2004年(平成16年) | 会員制サービス「アスパラクラブ」スタート。 |
2008年(平成20年) | 新聞紙面文字拡大、12段13文字に。 |
2009年(平成21年) | 創刊130周年。 |
2010年(平成22年) | 中ノ島フェスティバルタワー起工。 |
2011年(平成23年) | 「朝日新聞デジタル」スタート |
2012年(平成24年) | 中之島フェスティバルタワー竣工 |
2019年(平成31年・令和元年) | 創刊140周年。 |